- 2016-01-30 (Sat) 04:59
- Movie and TV
アメリカではすでに、史上最高の興行収入を記録した、スターウォーズ最新作。しかし、映画としては全く評価できるものではない。後半は寝そうになるほどタイクツだった。
「ルークスカイウォーカーが失踪した」という導入は上手い、ワクワクすると思ったし、エンディングはそのテーマをフォローしている。しかし、2時間を越える内容はそれとは全く無関係のエピソードしか語られない。プロットとテーマが一致していないのだ。ルークを探す話のはずが、地図を探す話になり、地図を探す話のはずが、ドロイドを探す話になってしまう。そして、山場のシチュエーション(攻略)が、このマクガフィンとはとは全く無関係。JJはマクガフィンということを理解していないとしか思えない。マクガフィンとは、ヒッチコックが定義した、プロットを牽引するアイテムで、このアイテムを巡ってドラマが展開するが、それそのものはドラマの本質ではないとされる。わかりやすい例としては、ラピュタの飛行石がそれだ。しかし、優れたドラマではマクガフィンはテーマを象徴するものとして設定される。指輪物語の指輪も、ラピュタの飛行石も。拡大解釈すればヒッチコックの鳥だって、ナイトメアのクリスマスだって、エピソードの中心にあるものは、作品のテーマなのだ。ルークを探す地図がマクガフィンとして誤っているのは、タイトルを見れば明らか。エピソード7は「ルーク、ジェダイ辞めたってよ」という映画になっていない。それだけでもこのプロットがいかにダメかがわかる。
それ以上にダメなのが、キャラクター。全てのキャラクターたちに行動原理、信念が無い。ここまでキャラが薄っぺらい映画も珍しいだろう。なぜそういう行動をしているのかが描かれないため、プロットのためのキャラクター、物語上の役割を担うことだけの存在に成り下がっている
スターウォーズの魅力のひとつは、広大な世界、多様な世界だろう。ところがこの映画はどうだ?近所の公園のような森での対決。安っぽいテーマパークのような酒場(あの客たちはどこで何をしている人たちなのか?)。まるでファンメイドのような安っぽい作りだ。JJはCGではなく、実物を作る事にこだわったというが、実物がCGに負けるのであれば、実物を作る意味など無い。
そして、説明能力の欠如。重要なことはエピソードで描くべきなのに、この映画はことごとく会話の中で言葉で語ってしまう。過去作に精通している身から見れば、ファーストオーダーが敵国なのか、テロリストなのか、シスとの関係すら曖昧で、混乱しか憶えない。
結局、JJの作るものは映画ではなく、出来の悪いテレビの連ドラなのだ。テーマや世界を描くことには興味がなく、話がややこしくなると新しい状況を作って興味を持続させているだけ。この方法はAVややおいでは成立するが、それはシチュエーションやキャラクターの良さがあってはじめて、成立すること。本作では、そこにすら至っていない。スタートはいいのだが、途中でタイクツになるのはスタトレしかり、スーパー8しかり、クローバーフィールドしかり。
JJという人はよほど、人間として魅力がある人なのだろう。バランス感覚にすぐれ、トレンドに敏感。だから仕事として、信頼され、若手ホープとして地位を築いている。ところがそういう人が優れた作品が作れるのかといえば、そうではないのだ。
経済活動としては大成功だが、文化という面では評価に値しない。
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