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ユーレカの日々[33]約束の地

最近テレビを見なくなっているが、たまにバラエティなどを見ると、「日本はすごい」「日本人は素晴らしい」というような番組ばかりが鼻について、やはりすぐに消してしまう。

こういった風潮は、福島の事故以降「絆」という言葉がやたら流行り始めた頃からだろうか。それとも、政府がやたら右寄りになっているため、こちらがセンシティブになっているからだろうか。こういった「日本人だから」という帰属意識を強調するような物言いは、どうにもこうにも、居心地が悪い気分になるのだ。

テレビのバラエティで紹介される事例は、別に日本人だからすごいのではなく、その事例、その人がすごいのだろう。素晴らしいのは、その人たちの行動がすばらしいのであって、日本人ということにやたら帰属させたがるのには本当に、ウンザリする。

わたしはもう50年以上日本人をやっているが、好きでこの国に生まれたわけではない。そもそも日本以外の国で暮らしたことがないから、この国がいいのか悪いのかもよくわからない。本来、国というのはそういうモノだろうと思う。とりたてて愛するものでもなければ、嫌うものでもない。だから「この国は素晴らしい」とか「日本人ならでは」という言い方に、不自然さや、胡散臭さを感じる。そもそも、日本人として誇りをもつ、理由というのがよくわからない。そんなことをして、得をするのは政府と行政だけであって、一個人になにか得になることがあるとは思えないのだ。

それでも、人は自分が住んでいる場所から逃れることはできない。国ということを意識することはなくても、地域ということを意識せざるをえない。

●あまちゃんで描かれた「地元」

昨年、ヒットしたテレビドラマ「あまちゃん」は、まさにそんな地域への帰属意識をテーマにしたドラマだった。クドカンのシナリオは実に見事で、わたし自身も面白く見た。

東北を舞台にしたこのドラマでは、東京に居心地の悪さを感じていた主人公が、母親の実家のある東北に居場所を見つけることから始まる。そして彼女を中心に、過疎の地方都市の町おこしが語られる。

それと対照的にその母はその町が嫌で、地元を捨てて東京へ出て行ったという過去があり、主人公の親友もまた地元を嫌い、上京しようとする。

このドラマですごいのは、この親友ユイにかけられた呪いだ。ユイは何度も東京へ出ようとするが、その度に様々なことがあり失敗する。病気で行けなかった東京への修学旅行からはじまり、最後は大震災が彼女の上京を阻む。もう、ほとんどスティーブン・キングの小説なみの怖さだ。地元という、なんだかよくわからないものに囚われている怖さ。さすがに朝の連ドラだから、ユイは最後には地元で生きていくことを受け入れて終わるが、地元のよさを描いているようで、同時にその帰属意識の息苦しさも描かれているあたりが、このドラマの秀逸さだったと思う。

●地元というファンタジー

あまちゃんの登場人物は、役所の人も、駅員も、働いている人も、皆顔見知りで、夜は同じスナックに集まったりする。それぞれが同級生だったり、恩師の娘だったりと、関係が濃い。そういった人たちが皆、同じ地域内で生活し、働いている。

これは都市生活者にとってはファンタジーだ。なぜなら、都市生活者のほとんどは、住んでいる場所と、働いている場所が離れているからだ。

現在、どれくらいの人が自分の住んでいる市町村、都道府県で働いているのかわからないが、平均的な通勤時間は1時間程度(平成23年社会生活基本調査)だということを考えると、多くの人が住んでいる地域と働いている地域が異なる、ということになる。

こういった傾向は、戦後の日本で急速に広まったようだ。工業社会になってよりよい仕事を求めて、都市部に人が集まる。そうすると地価が上がり、都市部に住まいを持つことが困難になる。公共交通機関が発達し、近隣にベッドタウンができる。結果として、遠距離通勤ということになるわけだ。

学生でも高校以上になると、家の近所ではない学校に通う場合が多い。さらに就職すれば実家から離れ、その結果、職場で子ども時代から知っている人と出会うことは少ない。長く続いた家業すら、大手スーパーの進出や、通販の普及で店をたたんでしまう。そうなるとそこで働いていた人は、また職を求めて、他の地域へ向かうことになる。

もちろん地方の視点で見れば、これは都市生活者の贅沢な言い草だろう。それだけ交通網が発達し、仕事の選択肢が広いということだ。また、濃い近所づきあいなどを煩わしく感じる人間が、都市に移り住んでいるということは、70年代からずっと言われ続けてきたことだ。

日本の法律では、どこに住むかは個人の自由だ。その地域が嫌なら他の地域に移住することが認められている。とはいえ、それができるのは、ごく限られた時期だ。子どもの頃は経済的に自立できていない。大人になればなったで、様々なしがらみが生まれ、そう簡単に個人の理由で移住することはできない。就職時にその地域に住むようになる場合が多いのだが、それもまた、結婚で引っ越したり、転職することで通勤距離が遠くなる。これが今の日本の、平均的な働き方だろう。

都市部に住んでいると「地域にねざす」「地域に貢献する」というようなスローガンには、どうも違和感を感じる。職場の地域に貢献したところで、生活者として恩恵を受けない。生活している場所に貢献したところで、その場所に居るのは夜と休日だけだ。そんな生活では、あまちゃんのような地元意識はファンタジーのように甘美に映る。

わたしが住んでいるのは、郊外のベッドタウンだ。緑が多く、きもちのいい町なので、休日に近所を散歩するのだが、時折、外国に居るような気持ちになる。ここは自分の住んでいる近所なのに、知っている人がだれも居ない。まるで旅行中のような気分になるのだ。

わたし個人が、そういった濃い付き合いが苦手だということもある。ご近所付き合いが濃いという人達もたくさん居るだろう。しかし、なかなかそういう風になる機会がない。

以前、このコラムで紹介した「世界ふれあい街歩き」を見ていて、いいなぁと思うのは、それぞれの町で生活している人たちの姿に憧れるからだ。あまちゃんのように、ご近所の付き合いにどこか憧れる。仕事と生活が一致する人生に、豊かさを感じる。その半面、ユイのように、出口のない息苦しさが嫌で、そういったものを避けてきた自分がいる。

●帰属意識

日本の企業は、とにかく帰属意識を求めたがる。制服、社歌。会社勤めをしていた頃、会社の運動会というのがあった。社員の家族を招待しての大運動会だ。ぼくはそういうのが嫌なので一度も出たことが無いが、日本中の会社でそういう事が行われていた。最近はどうなのか知らないが、会社を家族と考えたがる経営者は今でも多いようだ。

70年代までの日本であれば、それもよかっただろう。この時代までは女性は専業主婦が普通だったからだ。だから会社は、社員の家族まで含めて帰属意識を持たせるようにすればうまくいった。しかし、80年代以降、女性が働くことが一般化し、夫婦でそれぞれ、別の企業で働いていることがあたりまえになっている。

先日、教員が自分の子どもの入学式に出るために、自分の職場である学校の入学式を休んだ、ということが話題になった。仕事を休んだことを非難する意見もあれば、自分の家族のことを犠牲にしてまで仕事をする必要はない、という意見もあった。

これもまた、複数の帰属意識から来る矛盾だ。職場はすべてを仕事に捧げる帰属意識を要求し、生活(家族)もまた帰属意識を要求する。僕自身は、この問題には正解などないと思っている。その教員がどちらを選ぼうが、かまわない。家族が大事だと思えば仕事を休めばいいし、仕事が大事だと思えば家族のイベントを休めばいい。それを他人がとやかく言うことがおかしい。そうでなければ、世帯で働き手は一人、という前世紀に戻るしかない。

今後、こういった事例は無数に出てくる。コミュニティということが、昔のように単純にはいかなくなっている事例だろう。

●職住近接でも、仕事は?

地域で地域のために働く、というのは理想的ではある。それが本当の帰属意識だろう。しかし、今の世の中、そう簡単にはいかない。職場と生活が近ければ地域への意識が高まるのか、というと必ずしもそうとは限らない。なぜなら、仕事そのものが地域と密着しているとは限らないからだ。

フリーランスだった頃は、自宅の近所に仕事場を借りたり、自宅を仕事場にしていた。しかし、仕事の相手先は、自分の地元ではない。出版社などのメディアは東京だ。地産地消という言葉がある。わたしが描くイラストやマンガや文章や、また、絵やマンガを教えることに、果たして地元に市場があるのだろうか。

世の中が工業化、情報化してからは、資本やメディアが主導権を握っていた時代だった。そのような時代では労働力を含めた資本が中央に集約していたのだが、インターネットの時代になって、そういった中央集権は解体されつつある。将来は地元でのマッチングも一般的になっていけばいいと思う。

●新しい地元

一方、生活から見た帰属意識はどうだろう。

家で家族が居て、ふと気がつくとそれぞれが携帯をいじっている、という場面がある。どの家でも、おそらくそういう時代なのだろう。LINEやFacebookやTwitter。pixivやmixi。そういったネット上の「コミュニティ」は、地域に支配されない。

中高生はそういったコミュニティでも、ほとんどが学校という地域に根ざしているのだが、それも大学や社会に出て、それぞれが拡散していくにつれ、地域という束縛から解放されていく。学校が好きだった人は、遠くの地に移住してもネットを通じて繋がり続けるだろうし、逆に学校が嫌いな人は、学校という地域に縛られながらも、他のコミュニティに帰属意識を感じることができる。

一時、学校ごとの裏掲示板というのが話題になったが、今はそれはLINEに置き換わっている。ひとつの学校内でも、無数のコミュニティがあり、好きな人たちだけで簡単に親密な関係を作ることができる。それ以前は教室という無作為な社会で上手くやっていくことを教育されてきたのが、そちらは「適当にやりすごす」ことが可能になっている。スクールカーストや仲間はずれなど、昔は大人が察知しやすかったことも、ネット上に移ったせいで、見えにくくなっている。

地域に根ざしたコミュニティは、うまく行っているときはいいが、意見の対立などが起きるとやっかいだ。企業誘致を巡って地元で対立関係などができると、それが仕事も生活も密着しているがゆえ、後々まで禍根を残す。だから意見をぶつけ合うことを避けようとする。そのしわ寄せは、コミュニティではなく、そこにいる個人個人に覆い被さる。これが地域の息苦しさだろう。

その点、ネットのコミュニティは簡単だ。「退会」してしまえばそれでおしまい。仲間も絆も、オンオフ自由自在だ。それにリアル世界とは違い、空気を読んで合わせることが苦にならない。匿名性の高いコミュニティでは、誰もが「なりたい自分になれる」。だから依存性は強いが、帰属性は弱い。

●社会性がないのではなく、社会性が変質している

政治に関心が持てないのもそうだ。選挙区制では、自分の住民票のある場所での選挙権だ。ところが、職住が離れているため、住民であるという意識が希薄なのだ。じゃあ比例代表制で政党を選ぶのには実感が持てるのか、といえば、より抽象的な印象しか持てない。

それぞれが働いている場所か、住んでいる場所か、どちらで投票できるかを選べれば多少は違うのかもしれない。住民票は自由に移動できるのだから、やろうと思えば家族それぞれが自分の好きな場所で投票することも可能だろうが、そこまでして投票したいという人は少ないだろう。

そういう社会で生きているわたし達は皆、分裂症を患わずにおれない。わたし自身、帰属ということを考えると気持ちが分裂することを自覚してしまう。都市に住みたいのか、地方に住みたいのか、自分でもよくわからなくなる。

●複雑化するコミュニティ

コミュニティと帰属意識が変化してくると「社会性」といわれるものも、大きく変化してくる。地域という、物理的な束縛があれば、相手の顔が見える。相手の反応がわかる。自分の行動の因果関係が見て取れる。そういう生活をしていれば、社会性というものは自ずと身につくだろう。

しかし、コミュニティと地域が一致しなくなった現代では、ネットなど限られたコミュニティの中での社会性(言葉だけのやりとりの中で空気を読む)は育まれても、目の前の人たちとのつっこんだ関係をうまく成立できない。苦労して就活し、会社にはいっても数年もたたないうちに辞めてしまう人が多い。そのほとんどは、会社というリアルなコミュニティで、人々とうまく関係を作れなかったことにあるように思える。

多くの企業が「社会性のある人材」を求める。しかし、そうすればそうするほど、普通以上に社交性だけが突出した人材ばかりが集まってしまう。そういった組織は一見優秀な人材で構成されているように見えて、その実は不自然であり、危ないと思うのはわたしだけだろうか。

●これからの帰属性

肯定しようが否定しようが、人間は帰属意識というものから逃れられない。わたしのような、人付き合いが悪く、引きこもりがちな人間ですらそうだ。

世界は様々なコミュニティで成立している。個人は複数のコミュニティに属するのがあたりまえの時代になっている。そのどのコミュニティも絶対的ではありえず、常に流動的であり、薄く引き伸ばされ、ゆらいでいる。それが複雑にからみあっている。人はそんな状態を不安に思い、絶対的な基準を求めるが、そんなものが存在しないことも、知っている。

テレビが日本人であることを強調するのを聞く度に、わたしは不安にかられる。家族や地域への帰属意識が薄いのに、国への帰属意識など成立するはずもないだろう。その根本にある社会や経済の変化はもう、元には戻れない。新しいこの、複雑な帰属意識とつき合っていくしかないのだ。

しかし、多くの人が絆を求めるのは、なぜだろう。複雑になったコミュニティ、帰属意識とうまく接することができず、不安になる人が多いのだろうか。そうしないと精神の均衡を保てない人がそれほど多いのだろうか。それはまるで、複雑な地動説を受け入れることができず、シンプルな天動説に固執した人々のようにも思える。

わたし達は今、とても複雑な帰属意識を持って生活をしている。住まい、仕事、ネット。薄く、複雑にからみあい、薄く引き伸ばされ、ゆらぎのある帰属意識。この先、ネットがより発達し、在宅勤務も当たり前になって来るだろう。日本にいながら海外の企業で働く人も増えるだろう。日本で働く外国人も増えるだろう。そんな時代、わたしたちは何に帰属するのだろうか。

初出:【日刊デジタルクリエイターズ】 No.3704    2014/06/04

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