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ユーレカの日々[32] こわれもの〜修理という非日常

4月のことだ。自宅のトイレで水を流したあと、いつまでも「チョロチョロ」という給水の音が止まらないことに気がついた。

タンクのフタを開けて調べてみると、中の樹脂製パイプがグラグラしている。どうやらこの部品がひび割れて、水が漏れているらしい。とりあえず、給水栓をドライバーで締め、水を止めた。しかし用をたすたびにドライバーで開け閉めするのは大変だし、忘れてしまう。いつまでもこのままというわけにはいかない。

業者に頼むといくらくらいかかるのか。ネットで調べてみると、少なくとも1.5万〜2万はかかるようだ。さらに調べてみると、自分で修理したという話がちらほらと見つかる。

●業者を呼ぶか、自分で修理するか

ここでしばし、考える。タンク式水栓トイレの構造はわりと単純で、部品の交換そのものはそれほど大変そうではない。しかし、部品を取り寄せするのには時間がかかるだろう。中のボール型水栓の交換は何度かやったことがあるが、今回はそれよりも大事になりそうで、うまく出来るかどうかもわからない。かかる時間や不便さを考えると、業者に頼んでもいいような気がする。

心のなかのもうひとりの自分がささやく。修理方法をネットで見ていると、タンクをまるごと外すことになるらしい。なんだか結構楽しそうではないか。今までの人生で、トイレのタンクを外すことも、外している様子を見たこともない。やったことがなく、やる機会があればやってみるのが身上ではないのか。要するに、ちょっとおもしろそうなのだ。

そこで、まずは時間稼ぎができるかどうか、応急措置を試みることに。一度タンクの水をすべて抜いて、水漏れ部分を再確認する。パイプは手で触るとグラグラしているが、完全に折れてはずれているわけではない。接着剤でなんとかなるかな、と思うものの、手が入る場所ではないし、塩ビ系の樹脂なので、接着が難しい。

とりあえず、折れかかっているパイプに、ビニールテープをグルグル巻にしてみると、水漏れが止まった。よし、これで時間稼ぎができた、ということで、自分で部品交換を試みることにした。気分はスパイ映画の工作員である。

 

●部品の特定

まずは交換部品の特定だ。トイレタンクの型番から、部品番号を調べる。ネットの時代は本当に便利だ。昔ならそういった専門情報は、一般の人が接することはできなかった。型番を検索すれば、メーカーや、部品を販売しているサイトがすぐに見つかる。しかしこういった部品は、年式によって部品が変更されていたり、互換部品があったり。ほとんど同じ番号でちょっと違う、というパターンがたくさんあってまぎらわしい。何度か間違って買ってしまいそうになりながら、どうやら正解の部品を特定し、販売しているサイトを見つけた。

型番がわかったので、とりあえず近所のホームセンターに行ってみる。すぐに手に入るならその方がいい。交換部品は2種類ほどあったのだが、型番が異なるものしかない。取り寄せると時間がかかりそうなので、先のネットショップで買うことにして、交換に必要らしい水道工具(レンチ)のみ、買って帰った。

見つけた通販サイトはなかなか親切で、部品の見分け方や、一緒に交換した方がいい部品の説明もある。おすすめされた「パッキン」も安かったので、一緒に購入。数日後には無事、部品が到着する。

届いた部品はメーカー純正で、ちゃんと交換方法もついている。部品が届いたらすぐに交換してみたくなるのが人情だが、なんせ相手は我が家唯一のトイレである。交換している間、使えないとなると、家族から大ブーイングだ。幸い、応急措置は今のところ保っているので、しばし機会を伺うことにした。

 

●決行日

さて5月。ゴールデンウィーク。家族が皆出払うという絶好のタイミングが訪れた。実はその頃には、部品交換のワクワク感はすっかり薄れていて、「めんどくさいなぁ」感の方へ気持ちのメーターが振っているのだが、応急措置の方もそろそろあやしい。意を決して、工事にとりかかる。

あらためてタンクを見ると、中はあちこち、カビで真っ黒になっていた。このまま外すのもなぁ、ということで浴室用のカビ洗剤をぶっかける。漂白剤の匂いに気がついてあわてて、ドアを開け換気扇を回す。あぶなかった。この狭い密室で、ぶったおれたくはない。ここで気を失っても、家族が帰ってくるまでだれも気がついてくれないのだ。気を引き締めていこう。

タンクがきれいになったところで、給水を止め、タンクの水を完全に抜く。ところが、タンクの底よりも、タンク内の排水口の方が1cmほど上にあって、完全には水が抜けない。しかたないので、空いているペットボトルをスポイト代わりにして、水を吸い上げる。最近のペットボトルは中が入っていないとペコペコになる。こういう時に便利だ。

次に、水道管や、中のフロートなど、外せる部品を外す。

さていよいよ、タンクの分離だ。タンクと便器を接続しているのは2本のボルト。便器の裏に手を回し、スパナでナットをはずし、タンクを持ち上げる。思っていたほど重たくはない。はずしたタンクを便器の上に置いて、見てみると、タンクと便器の間のパッキンがすっかり劣化していて、外す途中でボロボロと崩れ落ちる。このパッキンはサイトで「おすすめ」されたもので、もしあそこでおすすめされなければ、この時点でゲームオーバー、水道屋を呼ばなくてはならないところだった。予想していたこととはいえ、一筋縄ではいかない。さぁ、もう後にはひけない。

 

●部品がはずれない!

問題のパイプは、タンクの底の穴に、裏側から大きなナットで止められている。これをはずして、部品を交換するのだ。このナットは直径が6cmくらいあって、普通のスパナでは手に負えない。先にホームセンターで買っておいた水道用のレンチの出番である。

ところが、これがはずれない。回そうとしてもびくともしない。力を入れるとするっと滑ってしまう。何度やってもダメ。なんとか外そうと、部品そのものを回すと、ヒビの入っていたパイプがポッキリと折れてしまった。

まずい。これは非常にまずい。もう気分はハリウッド映画で見る爆発物処理である。脳裏を人生が走馬灯のようにかけめぐる。落ち着け、落ち着け。いざとなったら水道屋を呼べばいい。タンクが爆発するわけではない。

あらためて、なぜボルトがはずれないか、よく観察する。錆びているわけではないので、はずれるはずだ。だとすれば工具に問題がある。買っておいた工具は、水栓用レンチの一番大きいものを買ったのだが、それを最大にしても、なんとかナットにひっかかっている状態。なので、力を入れにくいし、レンチが外れてしまうのだ。ならば、もっと大きなレンチを手に入れるしかない。

しかし、ホームセンターではこれが最大のサイズだった。あのホームセンターはダメだが、もうひとつの近所のホームセンターも同じような規模なので、あるという保証はない。ことは急を要する。通販というわけにはいかない。あれこれ考えているうちに、ちょっと遠いがプロ向けのショップがあったのを思い出す。すでに日は傾いている。家族が戻ってくるまで、あまり時間がない!

 

●クルマを走らせ、プロショップへ

迷っている時間はない。クルマでプロショップへ向かう。さすがプロショップである。置いてある工具の種類が多い。あったあった、ありました、前の店では見かけなかった大きなサイズのレンチが。念のためにノギスで測っておいたサイズで確認。前に買ったのはペンチ式だったが、今回のこれはモンキーレンチ式。ナットをつかむ部分が並行なので、これなら安定してはずせそうな気がする。

このツールは今回使ったら、ひょっとしたらもう一生、使うことがないかもしれない。もったいないという気持ちが一瞬、脳裏をよぎるが、タンクをはずしたトイレをあのまま放置しておくわけにはいかない。代金を支払って、家にもど前にやっておくことがひとつ。ショップでトイレを借りる。さて、家族が戻る前に修理を完了せねば。最終決戦だ!

 

●部品交換完了!

新しいレンチは前のとは比べ物にならないくらい、きっちりとナットを締め付けてくれる。それでも、あっさりとは回ってくれないが、何度か試すうちに、ようやく緩んでくれた。この時の気持ちといったら、時限爆弾のカウントダウンがあと1秒で止まったようなもんだ。

緩んでしまえばこちらのもの。ナットを外し、新しい部品と取り替える。新しいナットを締め、パッキンを新調し、タンクを戻してボルト締め。外していた部品を説明書通りに取り付けていく。

いざ、給水。水漏れしている気配はない。満水になってちゃんと水が止まってくれた。何度か繰り返し、問題がないことを確認。やれやれ、ミッション終了である。家族が帰ってきたのはそれから30分後だった。

 

●修理という非日常

終わってみればミッションは楽しかったが、よく考えてみれば交換したパーツはもっと交換しやすく設計されていてもいいのではないか、と思う。素人でも交換できるように設計されていれば、ことはもっと単純に済んだはずだ。生産工程やコストなど、様々な理由があって、このようなタンクを取り外さないと交換できない仕組みになっているのだとは思うが、素人目にはもうちょっと設計仕様で簡単に交換できるように変更できるように思う。

修理や部品交換がしやすいという要素は、設計においてどうしても優先順位が低くなってしまうのだろう。メーカーの製品であれば、長持ちしすぎるよりも適度に買い換えてもらった方がいい。技術革新やコストなどから来る、製品寿命ということだろう、家電には修理部品の保証期間というのがある。たしかに扇風機や暖房器具など、全体にくたびれてくれば、発熱発火の恐れもある。

現代の様々な個人ユースの道具は、自動車など一部を除いてメンテナンスフリーが前提だ。エアコンですら、自分で自分を掃除してくれる機能が普通になってきている。だれも日常的に道具の保守点検など、行わない。その時間対価は、製品の買い替えと見合わないほど、様々な製品が安価に手に入る。自動車免許の講習でも、電化製品のマニュアルでも、始業点検や日常のお手入れ、という項目がある。しかしそれをまじめに行っている人は、どれくらい居るだろうか?

機械や道具がシンプルだった時代では、部品の交換や自作も可能だった。現代ではあらゆるモノが複雑化し、iPhoneが故障したら即、本体ごと取り替えに代表されるように、修理に対する考え方も変わってきている。アメリカのように、家にガレージという空間があればまだしも、日本のような都市集約型の生活、マンションや、一戸建てでもほとんど庭もない生活では、修理や工作をするスペースなどないのが実情だ。

今後、3Dプリンタが発達し、コンビニなどですぐに部品を出力できるようになってくれば自分で修理をする、という機会も増えるのかもしれないし、製品もそれを前提としたものが増えていくかもしれない。しかし、ぼくも含めて、人々は道具を修理しながら使うよりも、新しい機能を備えた新製品に買い換える方に魅力を感じることは、そう簡単には変わらない。

さらに経済、という考え方がそれに拍車をかける。クルマを買っては、初めての車検が来る前に売って、違うクルマに買い換えるという人がいる。クルマ好きならたしかに、十分に費用対効果のある乗り方だろう。そこまで高額でなくても、僕自身、Macがまだ2〜30万していた時代には、2年ごとに新製品に買い替えていた。中古品に値段がつくうちに、売り払ってしまう。技術の進化が著しい時代には、それがたしかに一番効率的であり、エコシステムでもあった。

しかし、しかしである。使えるものを買い換えるのは今でもどこか、心の中にチクリと痛みを感じてしまうのだ。中古品を売り払うのをネットスラングで「ドナドナ」というが、まさにかわいい仔牛を売りに行く心境だ。できれば寿命をまっとうするまで、その道具を使いきってやりたい。道具に人格を見てしまう、日本の文化がそうさせるのだろうか。今回、修理ができたトイレのタンクは幸せものだ。そう簡単に買い換えるものではないのだからもうちょっと働いてもらおう。

 

●水に流れないもの

取り替えた、壊れた部品を前に、コーヒーを飲みながら考える。そういえばあの、東北の巨大な装置の修理はどうなっているのだろうか?うちのトイレと同じように、不慮の事故で漏れてはいけないモノが漏れてしまった、あの装置である。あの装置だって修理ができるように設計されていたはずだ。点検だってなされていたはずだ。それでも、壊れる時は壊れる。

壊れないように、製品の品質を上げ、壊れないように、点検をする。物が壊れたら買い換えることに慣れすぎている。わたしたちは、自分で修理することから離れすぎている。

わたしたちは今でも、気持ちのどこかで、電話をすればすぐに業者が飛んできて、数万円の対価で全てが解決すると、思っている。買い換えれば済むと思っている。あの装置には、そんな業者は存在しないのに。数時間では、元通りにならないのに。

 

そんなことを考えながら、自分の作業を確認するために、もう一度、タンクのレバーを引く。水はきっちりと流れ、やがてきっちりと止まる。でも、修理という行為の持つ意味は、水に流れずに、ぼくの心の中にひっかかったままだ。

初出:【日刊デジタルクリエイターズ】 No.3689    2014/05/14

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